自分自身の存在を受け入れる
『自己紹介と言えるほどの自己はありますか?』
これは昔、ある勉強会に私が参加したときに、僧侶の方がおっしゃった言葉です。
出身地、学歴、仕事、趣味、興味のあることなど、これらを時系列的に話すことはできても、自己を紹介できるほど、果たして自己と向き合ったことがあるか? という意味です。
他人に自分をわかってもらう前に、自分は自分をわかっているのか・・・
この言葉を聞いた時は、愕然とした記憶があります。
人は自分自身に対してでさえ、こんな状態なんです。
まして他人に対しては、自分が見たいようにしか見ていません。
自己をわかっていない自分を、他人をわかろうとしない他人に対して 『本当の自分は、こんな人ですよ。 わかってくださいね!』 という必要はあるんでしょうか?
そんなことは、やめてしまいましょう。 と言うのは簡単です。 でも、それでも他人にわかってほしい、自分という存在を認めてほしい、という気持ち。 それは消すことができないと思います。
よく 『人事を尽くして天命を待つ』 といいますがつまり、精一杯努力してあとは天に任せると言われますが、悲しいかな、現実はどんなに努力しても自分の思うような結果になるとは限りません。
こんな天命だったら持たなければ良かった! と思う人も多いようです。
それに対して 『天命に安んじて人事を尽くす』 という言葉があります。
これは明治時代の仏教者の言葉で、 『お任せしても大丈夫な存在がある。 だから安心して、精一杯努力できる』 という意味です。
ではその 『お任せしても大丈夫な存在』 とは何かと言うと、それは自分自身です。
『自分自身に安心する』 そうです。 そのままのあなたでいいんです!。
他人に求める前にまず、自分自身が自分という存在を肯定して、受け入れてみませんか?
例えば、自分の嫌なところを書き出してみるのはいかがでしょう?
内面や外面、思いつくままに書き出して、そしてそれらを一つずつ肯定してみてください。
そして少しずつ、自分を受け入れていくことは、意外と楽しいですよ。
感謝