人を嫌いにならないために
この世の苦しみの一つ 『怨憎会苦』 は、顔を見るのも嫌な人と会わなければならない苦しみのことを言います。
できたら大嫌いな人とは会いたくない、人間の本音かもしれませんね。
『嫌い』と言ってもいろいろあると思います。
その人の行動が嫌なのか、その人の存在そのものが嫌なのか、嫌と思っているのは自分だけなのか、誰もがみんな、その人を嫌だと思っているのか・・・
よく考えたら嫌いということは、少なくともその人に感心があるということです。
だから、嫌いな人がいるときは、どうして嫌いなのかを自己検証することが、嫌いという感情に向き合うための一番の近道だと思います。
案外、あなたの勘違いだったり、相手もそんなつもりではなかったというのは、よくある話しです。
『袖振り合うも多生の縁』 という言葉があります。
すれ違った時に袖が触れあうようなちょっとした関係でも、その人との関係は前世からの深いご縁によって起きているのだという意味です。
私たちは人間としてこの世界に生まれてくる前に、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天という6つの世界(六道)を生まれ変り死に変わりしてきました。
この六道輪廻を繰り返す中でいただいたご縁により、今生きている世界で、沢山の人と出会うべくして出会っているのです。
だから、たとえ嫌いな人がいたとしても、まずはご縁があったという有難い存在だということに気づきましょう!
また、その人を好きになれないというのは、もしかしたら自分だけが正しいという思い込みがあるからかもしれません。
何が正しくて何が正しくないかは、時代や環境によっても変わりますよね。
自分と相手とは違う人間であることを理解して、尊重し合いましょう。
人はそれぞれ違っていていいんだと思えたら、それだけでずいぶん、心が楽になるんだと思います。
阿弥陀経というお経には 『青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう) 赤色赤光(しゃくしきしゃっこう) 白色白光(びゃくしきびゃっこう)』 という一文がありますが、これは蓮の花の色を描写している箇所なのです。
苦しみのない極楽浄土では、互いに違いを認め合いながら美しく輝いているのです。
私たちも是非そんな姿を見習って、お互いに尊重し合っていきたいものですね。
感謝