負けることが許せない
考えたら私たちは、生まれた時から競争の中で生きてきました。
受験ではより上の学校を目指したり、仕事では成果や給料を競い合います。
負けたら終わりのようにも思えるんですが、そう信じ込んでいる気持ちが、余計に自分を追い詰めているということはないでしょうか?
でも負けたからといって、人生が終わってしまうわけではありません。 また、自分が勝った場合でもその時に負けた人たちの人生も終わりにはなっていません。
勝ち負けというのは、自分が思うほど大した意味を持たないものなのです!
負けることが大嫌いだという感情の本質は、勝ち負けにこだわっているんじゃなくて、大した価値もなく実体さえない勝負の幻想にとらわれて、自分を見失っていることにあります。
負けることが本当に人生の終わりを意味するならば、いちいち悩まないで心おきなく勝ち負けにこだわり続けたらいいと思います!
でも、本当はそうではなく、勝ち負けなんか何の意味もないとうすうす気づいているからこそ、苦しんでいるんじゃないでしょうか!
仏教では、もっとも愚かなことを 『無明』 と言います。
これは何もかもがわかっていると思い込んで、その思い込みが真実を隠してしまうことを意味します。
実体のない勝ち負けという妄想の迷路にはまり込んでしまった自分に、まずは明かりをさしてみてください。
負けたくない気持ちの奥には、勝ち続けて幸せな人生を送りたいという願望はありませんか?
つまり、負けないことと幸せになること、この2つの願いがあるわけなんです。
そして本当に望んでいるのは、単に負けないことじゃなくて、自分が幸せだと思える豊かな人生を送ることではないでしょうか?
豊かな人生に実体のない勝ち負けという結果は、本当に必要なんでしょうか?
勝負を挑む過程は歩みで、自分自身への問いかけの連続でもあります。
しかし、勝ち負けという結果は単なる確認に過ぎず、その後の人生に大きな影響を与えるものではありません!
豊かな人生は、勝ち負けという妄想の迷路を抜け出たところにあります。
勝ち負けにこだわるばかりで、自分を否定していたら本末転倒ですから、勝ち負けはただの結果に過ぎないということを、しっかりと心に刻まれてください!
感謝