自分への執着が嫉妬の苦しみを生み出す
嫉妬という感情は、ある人や物事に対して自分と誰かを比べるところから生まれます。
でもその根本は実は、もっと根深いところにあります。
これを解いていくヒントとして 『執着』があります。
執着とはこれが欲しい、あんなふうになりたいなどと強く望んで、それにこだわり、気になって仕方がない状態を表す言葉です。
例えば男女の関係なら、好きな人に愛されたいのに、自分よりその相手に好かれている人に対して、嫉妬を抱きます。
ついつい誰かと自分を比べて苦しむその根っこには、実はその好きな人や、その人との未来、その人に愛されている自分というものに対する執着にあります。
また、自分がやりたかった仕事をこなしている同僚に対して嫉妬しているなら、仕事そのものや、それによって身につくスキル、成功して凄いと思ってもらえること、それによって得られる未来などによって抱く執着により、引き起こされるんです。
だからもし、私たちが執着を手放すことができたら、嫉妬などという暗い感情に苦しむことはなくなるんです!
しかし、私たちは執着を離れることはできません。
何も望まないでただ生きているだけでも、それは『生きる』ことへの執着の上に成り立っているわけですから、完全に執着から逃れる方法を探して考え込むのは、少し見当違いのようにも思います。
きっと、ありもしない答えに執着するばかりに 心が疲れきってしまって、そんなことに悩むこともなく幸せそうにしている人たちに嫉妬するでしょう。
執着から解放されることが叶わないなら、きれいサッパリと嫉妬を断ち切ることも難しいのです。
仏教の目的は『生きる』という執着と、どんなふうに関わっていくかというところにあります!
執着から解放されることはないと理解した上で、ではその執着とどんなふうにつき合っていくのかを考えていきます。
そこを本当に謙虚に見つめていけば、自ずと湧き出してしまう嫉妬だったとしても、その根本にある執着に気づいて嫉妬によって何でもかんでも愚痴を言ったり、怒ったり、取り乱してしまうという苦しみからは解放されるのでさないでしょうか。
感謝